心のこと…

「医科心理学」の知識を遊ぶ

好意と意地悪 1

  これまでお話ししてきた進化論の基本は適者生存でした。 動物たちはみんな自分が生存競争を生き残り子孫を増やす可能性が最大になるように進化してきたのですし、それだけが唯一の原理でした。 つまり、動物やちは基本的にみんな極めて利己的 selfishな行動をするものだと考えてきました。

  そのうえ、動物たちには基本的に2つのモードしか存在せず、それは自分の持つ時間と労力を(1)自分の体を成長・維持・強化することと、(2)子づくり・子育てに費やすこと、だけのはずでした。

 

  ところが…

 

  いろいろな動物たちの行動をよく見てみると、動物たちには一見するとその例外のような行動をすることがあります。 その一つが「利他行動(愛他行動)altruism」であり、もう一つが「意地悪 spite」です。

 

  ここで用語の定義ですが、「利他行動(愛他行動) altruism」とは、自分の時間と労力を使って、自分以外の他者の利益になるようなこと(他者の体の成長・維持・強化を手助けすることや、他者の子づくり・子育てを手助けすること)をすることです。 一方の「意地悪 spite」は自分の時間と労力を使って他者の利益を害するようなことをすることです。 どちらも、「動物たちは、基本的に(1)自分の体を成長・維持・強化することと、(2)子づくり・子育てに費やすこと、の2つのモードしかない」という原則に一見すると一致していないように見えます。 それに、どちらも進化論の基本原則である「自分が生存競争を生き残り子孫を増やす可能性が最大限になるように」行動しているだけ、という理屈にも反している気がします。 

 

  これは、いったい…?

 

  問題は進化論が言うところの「適者生存」の「適者」とは誰のことなのか?ということです。 これは決して動物の個体そのものを意味していないのです。 そうではなく、遺伝子DNAの特定の配列を意味しているだけです。遺伝子DNAの特定の配列は、動物たちの行動の特定の行動パターンをつくりだします。 その結果としてその行動パターンをコードする遺伝子が生き残り、増えてさえ行けばいいのです。 極端な話、その結果として遺伝子DNAの持ち主である動物の個体そのものが酷い目にあおうが、死んでしまおうが、関係ないのです。

 

  例えば、よく知られた利他行動(愛他行動)の一つとして、ハチの「働き蜂」の行動があります。 ハチの社会は子どもをどんどんつくる「女王蜂」と、その女王蜂を支える子どもを産まないメスの「働き蜂」によって成り立っています。 「働き蜂」たちは、自分の時間と労力のほとんどすべてを、女王蜂のために使います。 働き蜂たちは、自分の子孫をつくることを一切放棄して、女王蜂のためだけに滅私奉公しているのです。 究極の利他行動(愛他行動)です。

  これは、上記の動物の行動の原則に反しているのではないか?とさえ見えます。

  ところが、実際にはそうでもないのです。 ハチの世界では、女王蜂がすべての働き蜂の親です。 ということは、女王蜂がどんどん子どもをつくるとき、働き蜂にとっては自分とかなり遺伝子的に共通した、普通の意味での「きょうだい」よりももっと遺伝子的に近い、自分の分身のような「きょうだい」を与えて貰えることになるのです。 このため、働き蜂にとっては、自分が子どもをつくらなくても、女王蜂が代わりにどんどんつくってくれているようなものなので、女王蜂の子づくり・子育てを支援しているだけで、自分が子づくり・子育てをしているのとほぼ同じ効果が、遺伝子的には、得られるわけです。

 

  このように、遺伝子的につながりのある他者を助けてあげることによって、自分と共通する遺伝子が生き残り、増えていくのに寄与することになる、という形での「利他行動(愛他行動)」は動物界には極めて普通に見られるものです。

  一般論として、遺伝子的につながりのある(共通した遺伝子を持つ)他者が得られる利益をB、その他者のために自分が費やす時間と労力といったコストの合計をC、そして自分とその相手との遺伝子的な共通割合をrとすると、

 

rB>C

 

という条件さえ成り立っていれば、この行動パターンは(そして、この行動パターンをコードする遺伝子DNAの配列は)生き残ることになります。(ハミルトンの法則)

 

  そんな「利他行動(愛他行動)」について、この後でもう少し見ていきます。

 

 

 

参考書

Davies NB, et al.  An Introduction to Behavioral Ecology

 

百田 尚樹『風の中のマリア』