心のこと…

「医科心理学」の知識を遊ぶ

アダムとイブの争い 9

 原始時代から女性たちが配偶者(恋人)となる男性に求めてきたのは良き種馬になること(優良な遺伝子を提供してくれること)だけではありませんでした。

  当然です。人間は他の哺乳類たちに比べて一人前になるまでの時間が長すぎるのです。子どもを産んだ母親一人で育てていくのはリスクが大きすぎますし、大変すぎます。どうやっても優しく誠実で自分と子どもの幸せのために忠実に働いてくれる男性が、強い生活力・経済力を持った男性が、必要なのです。

  そう、女性が配偶者選択 mate choiceにおいて男性に求めるもう一つの側面は、ここです。優しさと誠実さ。そして生活力・経済力の強さです。

  男性の持つ生活力・経済力の強さは、その人の暮らしぶりを見ていればわかります。

  では、優しさや誠実さはどうか? どうやら、女性たちの多くは男性の顔をみるだけで、その男性がどれだけ優しく誠実で子育てに協力的になってくれるかをかなり正確に推定しているようであることが知られています。女性が顔で男性を選ぶのにはなるほど理由があるのです。

 

  ただ、ここからいくつかの問題が生じてきます。

 

  一つは、これらいくつもの条件を都合よく満たす男性なんてそうそう存在しないということです。だいたいにおいて、遺伝子的な魅力・「男らしさ」と優しさ・誠実さは、なかなか両立が難しいことも知られています。(これは遺伝子的に健康優良で「男らしい」男性は、自分が「売り手市場」であることがわかっていることもあって、どうしても不誠実に多くの女性に手を出してしまう浮気者の傾向があるからです。さらに男性ホルモンが良好に作用しているおかげというか、そのせいで、ますますその傾向は強まります。このため、「良い男」が「人の良い男」であることは、とても難しいのです。)では、女性は自分が(自分の遺伝子が)生き残るにはどうしたら良いのか?

 

  もう一つの問題は、生活力・経済力はその男性個人の努力以外の努力が可能だということです。遺伝子的な優良性はうまれつきであって、その人の努力でも、誰の努力でも、どうにもならないところがあります。ところが、「(経済的に)良い生活をすること」「強い経済力があること」は、本人の努力でどうにかできるところもありますし、何よりも親がお金をかけてあげることができる部分です。

  ここが問題なのです。女の子はお金がなくてもモテることができます。昔話でも、貧しい女の子が王子様にみそめられて「玉の輿」に乗るのは珍しいことではなく、むしろ一般的です。ところが、逆はないのです。貧しい男の子はモテないのです。この事実から、自分の遺伝子を残したい両親はどう動くか? 答えは簡単です。息子にはお金をかけ、娘にはお金をかけないようにするのです。息子には勉強をさせて「良い学校」に行かせ、将来高い社会経済的地位につかせ、「良い生活」をさせるようにさせるのです。そうやってモテるようにさせるのです。一方で、娘はそこまでする必要はありません。貧しくたって、社会経済的地位が多少低くたって、「王子様」が現れてくれる可能性が高いからです。

(これは実はよく知られた事実です。女性はどうしても自分よりも社会経済的地位が高い男性と結婚したがる傾向があるのです。逆にいうと、女性は社会経済的地位が多少低くても結婚相手は見つかるのです。それに対して、男性はその可能性はあまりありません。女性が自分よりも社会的地位や稼ぎが低い男性をいやがるからです。これは原始人の頃から私たち人間が持って生まれた本能的な習性のようなもので、理屈抜きの、どうしようもない傾向なのです。)

  このため、世界各地に見られる「男尊女卑」という「男女差別」が生じてきます。なんと、男女差別の根本は、男性が女性よりも優位に立つためではなかったのです。自分たちの遺伝子を少しでも高い確率で残したかった両親のエゴによって成立してきたのです。

  例の親投資 parent investmentの問題です。限りある財産を子たちにどのように使っていくことが、自分の遺伝子をより効率よく残してゆけるか? その結果として、男の子には手をかけお金をかけ大事にそだて、女の子はそこまでしなくて育てていく…。その結果として、男は女よりも偉く大事にされる存在なのだと勘違いする考え方がうまれてくる。

  この問題はさらにとんでもない、身もふたもない話に発展するので、その話はまたこの次に。

 

 

参考書

Rodney JR, et al. Reading men’s faces: women’s mate attractiveness judgments track men’s testosterone and interest in infants. Proc. R. Soc. B (2006) 273, 2169–2175.