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心のこと…

「医科心理学」の知識を遊ぶ

進化論の話10

 サル以上の高い知能を持った動物たちだけが行うことができる「(主には手や道具を使って行う)目的に方向付けられ階層構造化された動作」を脳内でプログラミングにすること。その極致が、私たちが何気なく普通に行なっている「道具をつくり、使うこと」です。これは、例えば簡単な「テーブルの上にあるナッツを手にとって食べること」に比べて、その動きは桁違いで複雑な階層構造になっていて、極めて遠い遠い目的 goalに向かって順序立てて動きを組み上げていかなくてはできないことです。

 

  しかも、「道具」は、その存在自体が「目的に方向付けられた動作」の具現化そのものです。(当たり前のことですが、目的のない道具なんて存在しないからです。)

 

  人類は、この「道具をつくり、使うこと」という能力を得たことで、大きく変わったことがいくつかあったでしょう。

  (1)「目的に方向付けられ階層構造化された動作」をプログラミングする能力をより一層、桁違いに進化させたこと。

  (2)道具をつくることも、使うことも、ともに誰かがそうしているのを見て、模倣し身につけていく必要性があったであろうこと。このため意図的な「模倣」による「学習」、そのためのコミュニケーションという能力(相手のやっている動作の「意図」を解釈し意図的に模倣すること、そして相手に学習させることを意図して模倣しやすいようにわざわざ動作を示してあげること≒ジェスチャーによるコミュニケーション)も桁違いに進化させたであろうこと。(これは、相手のしていることを見るだけで、瞬時にそこにある「目的」とか「意図」といったものを理解し自分のものにすることができる、例のミラー・ニューロンの性質をより桁違いに進化させたものです。)

  (3)道具には(それをつくることの労力や、自分に合わせて使いこんでいくための労力が必要なため)ほぼ必然的に「自分のもの」という感覚(外界にあるものを自分の延長のようにすること、所有欲)を持つようになったであろこと。

 

   遠い遠い人類の祖先にとって、いちばんの最初期の頃の「道具」は石器だったでしょう。この石器も、脳が進化して「目的に方向付けられ階層構造化された動作」をプログラミングにする能力が向上するに従って、最初の頃は石をぶつけ合って先を尖らせただけのような簡単な石器だったのが、次第に複雑なつくりこみをするようになり、「出来上がり」をイメージしながら何段階にも分かれる手順を経てつくられるものに進化していきました。

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(通常は、多くの右利きの原始人にとっては、左手で「素材となる石」を支えながら動かし、こうして全体の作業の流れをつくっていきながら、右手はリズミカルに細かく「ハンマーとなる石」を打ちつけてつくりこんでいくことになっていたでしょう。このようにして、右手と左手は役割を分業して、両手を使って道具をつくっていったでしょう。同様に、道具を使うときも、基本的には左手は全体の大きな流れをつくり、右手はリズミカルに細かい動作を繰り返す、というようにだいたい同じような役割を分業するようになっていたはずです。)

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  さらに、道具をつくったり使ったりするには、誰か他人がそうしているのを見て(あるいは出来上がった道具を見て、その道具が何のためにあるのかという「意図」を理解して)模倣するところから始めなくてはならなかったでしょう。

 

  このとき、脳の中では何が起こっているか?

 

  「道具をつくる」(「道具を使う」でもほぼ同じ)という行動には、「テーブルの上にあるナッツを手にとって食べる」という行動よりもはるかに階層構造が複雑で手順の多い「目的に方向付けられた運動プログラミング」が必要ですから、例の前頭葉の下の部分、頭頂葉と隣り合った場所にある「ブローカ領域」がより広く、より強力に働くことになります。

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  さらに、相手の行なっている行動(「道具をつくること」や「道具を使うこと」)を見て、自分の中に持っている記憶と照合しながら、自分の運動プログラミングと照合しながら、そこにある「意図」を解釈し、模倣していくために、体性感覚と視覚と聴覚などの情報が集約される、頭頂葉の下の部分、後頭葉と側頭葉に隣接する場所(=ウェルニッケ領域)が広く、強力に働くことにもなります。

(ウェルニッケ領域は、脳のこの場所にあるために、より概念化・抽象化された状態での体性感覚、聴覚、視覚情報が集約されてくるのです。さらに、記憶の集約場所である海馬からの入力によって、自分の中にある記憶と照合する処理もします。さらにウェルニッケ領域はブローカ領域と双方向性に連絡していますから、運動プログラミングとの照合もする、というわけです。)

 

  出ました。ブローカ領域とウェルニッケ領域。かつては「運動性言語中枢」と「感覚性言語中枢」だと思われていた領域です。

 

  そうなのです、ブローカ領域もウェルニッケ領域も、別に言語活動のためだけにできた場所ではなかったのです。そうではなく、「目的に方向付けられた、高度に階層構造化され順序立てられた動作」のプログラミング≒「意図 intention」をつくりだしたり、それを受け取って解釈したりするための領域だったのです。その能力を、人類は進化のプロセスの中で「言語活動」に転用した、というのが正しいのでしょう。

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  こうして、これまで見てきたように、おそらく人類の進化のプロセスの中で、「歌と音楽」、「道具をつくること、使うこと」、そして「言語活動」というものは一緒に進化してきたのです。右脳と左脳の機能局在とともに…。

 

  この後でさらに「歌と音楽」、「道具をつくること、使うこと」、そして「言語活動」における右脳と左脳の機能局在を見ていくことにします。

 

 

 

参考書

Stout D, et al.  Neural correlates of Early Stone Age toolmaking: technology, language and cognition in human evolution.  Phil. Trans. R. Soc. B (2008) 363, 1939–1949.

 

Stout D & Chaminade T.  Stone tools, language and the brain in human evolution.  Phil. Trans. R. Soc. B (2012) 367, 75–87.

 

Ardila A.  A proposed neurological interpretation of language evolution.  Behavioural Neurology Volume 2015, Article ID 872487.

 

 

進化論の話9

目的に方向付けられ階層構造化された動作のプログラム≒「意図」を伝えるメカニズム

 

  私たちが人間やサルには「(主には手や道具を使って行う)目的に方向付けられ階層構造化された動作」を大脳皮質でプログラミングして、実行する能力があります。それを行なっているのが前頭葉の下の方、頭頂葉との境目あたりにある部分 posterior part of inferior frontal gyrusであり、ここはサルでいうとF5と呼ばれる領域であり、人間でいうと「ブローカ領域」と呼ばれ、かつては(優位半球においては)「運動性言語中枢」だと思われていた場所です。

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  サル以上の動物たちには(もちろん、人間にも)大脳皮質のこの部分の神経細胞には「ミラー・ニューロン mirror neuron」と呼ばれる面白い性質があることがわかっています。

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  ついでにいうと、サルでいうとF5、人間でいうブローカ領域以外にも「ミラー・ニューロン」の性質を持つ部分として知られているのが、サルのPFG(頭頂葉の下の部分、ちょうど側頭葉と後頭葉に隣接するような場所)であり、これは人間でいうと「ウェルニッケ領域  」、つまりかつては(優位半球においては)「感覚性言語中枢」と呼ばれていた場所です。

 

  その「ミラー・ニューロン」と呼ばれているのは、いったいどんな性質のことなのか?

 

  ミラー・ニューロンの名前の通り、相手の行なっている行動、相手の感じている感覚に一致して、相手の脳内でニューロンが活動しているのと同じように、自分の脳内のニューロンが活動するのです。これによって、(人間を含めて)サル以上の動物たちは、相手が感じるように自分の内側で感じることができ、これが「共感性」や「模倣」の基礎となり、より複雑な社会的行動を可能にしていったのだろうと考えられるのです。

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  そして重要なのは、このミラー・ニューロンの性質が「目的を持った動作」のプログラミングを行う領域(サルでいえばF5、人間でいえばブローカ領域)に生じている、ということです。つまり、サルや私たち人間は、相手がやっている「目的を持った動作」を見て、それを自分の内側に「目的を持った動作」のプログラムとして、つまり「こうしたいという気持」や「意図」として表象し、感じ、意味付け、解釈していくことができるようになっている、ということです。さらにいうと、同じメカニズムを使って、私たちは自分自身が行なっている動作を見て、そこに「こうしたいという気持」や「意図」を意味付け、解釈していく性質があるということでもあります。

(これが、私たちが「自分の気持ち」として感じる「意識的な自分 conscious self」の基礎になると考えられます。私たちの脳内では膨大な情報処理が複雑に進行しているのですが、そのうち「こうしたいという気持ち」や「意図」としてミラー・ニューロンが概念化することができる部分だけ、「意識」として形になってくる、ということなのでしょう。これはブローカ領域が関わる運動系(「こうしたいという気持ち」や「意図」という運動プログラミングに関わるもの)だけでなく、ウェルニッケの領域が関わる感覚系(「こういう感覚、こういう感情」)についても同様でしょう。)

  さらにいうと、こうやって相手の動作に「何らかの目的を持った動作」のプログラム≒相手の気持ちや意図を読み取ろうとする脳の癖がサルや私たちにはあるために、本当はそこに何の考えも、目的も意図もないものを「擬人化」して、そこに何らかの「気持ち」や「意図」を意味付けしてしまうところが、私たちにはあるのです。例えば、前回の話題でお話ししたトゲウオの行動やカモメの行動を思い出してください。本当は「リリーサー」と「決まり切った行動パターン」の連鎖反応による行動であり、本当はそこに何の考えや意図や気持ちなどないのに、私たちはついつい「オスのトゲウオはライバルのオスがナワバリに入ってくると追い払おうとする」とか、「でも、メスがやってくると求愛行動をしてセックスしようとする」とか、「カモメは巣から転げ出た卵をもとの場所に戻そうとする」とかいうように、「意図」や「気持ち」、目的性を解釈してしまうのです。

 

  さて「目的を持った動作」が、それこそ「テーブルの上にあるナッツを手にとって食べる」というようなサルでもできるような簡単なものではなく、道具をつくったり使ったりするような、かなり複雑なものになってくると、そこに表象される「こうしたいという気持ち」や「意図」も、かなり複雑になり、それこそ「意識的」とか「意図的」と表現できるようなものになってきます。

 

  こうしたことを、進化における「道具とつくり使う能力」の獲得に関連して、さらに考えていきたいと思います。

 

 

参考書

Castle A, et al.  The mirror neuron system: a fresh view.  The Neuroscientist 17(5) 524 –538.

 

 

 

進化論の話8

目的に方向付けられ階層構造化された行動の組み上げ

 

  私たち人間は、目的に方向付けられ階層構造化され、順序立てられた動きの組み合わせによる、複雑で柔軟で合目的的な動作goal-oriented actionをすることができます。(これは複雑さの程度の差こそあれ、サル以上の私たちの仲間、霊長類が持つ一種の特別な能力です。)

 

  例えば、「テーブルの上に置いてあるナッツを手にとって食べる」という複雑で柔軟で階層構造化された動作です。…こんな単純な行動のどこか「複雑で柔軟で階層構造化された」動作だと言えるのだ?!と思われるかもしれません。しかし、良く良くみると、この動作は結構複雑です;

 

例『テーブルの上に置いてあるナッツを手にとって食べる』行動プログラム

  手順;テーブルの上のナッツを視覚的に捉える

    その手順1  上体と首を回してテーブルの上にあるナッツの方向に体を向ける

    その手順2  眼球を適切に動かしてナッツを捉える

    その手順3  …あれこれ

  手順;右手を伸ばしてナッツをつまむ

    その手順1  上腕、前腕をナッツの方向に伸ばす

    その手順2  ナッツをつまむべく右手を広げる

    その手順3 …あれこれ

  手順…あれこれ

…最終的に口に入る。

 

  という具合です。手順が階層構造化されているために、途中で予想外のアクシデントが起こっても、最初からやり直す必要なく、柔軟に対応を変えることができます。例えば、ナッツに手を伸ばし始めたあたりで、誰かに「あ、ちょっと、それダメ!」と言われたら、手を止めることができるでしょう。(プログラムを止めることができず口に入れてしまう人はいないはずです。)そして「あ、ごめん、間違いだった。食べて良いよ」とすぐに言われたら、そのまま動作の続きを始めるでしょう。(プログラムを最初からやり直して、上体と首を回すところから始める人はいないはずです。)人間やサルには、これができるのです。

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  そんな馬鹿な!? 他のもっと「下等な動物」たちだって、一見すると合目的的な動作をすることができるではないか? と思われるかもしれません。

 

  例えば、カモメは自分の巣から転げ出てしまった卵を、自分のくちばしと首を使って器用に巣に戻す行動をすることが知られています。一見すると、実に合目的的な、「頭の良い」行動です。しかし、カモメの行うこの行動は、私たちがナッツをとって口に運ぶのとは、意味が全く異なるのです。

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  動物行動学 ethologyの分野では古くから「決まり切った行動パターン fixed action pattern」と、それを引き出す引き金の役割をする「リリーサー releaser」という考え方がありました。「リリーサー」と呼ばれる外界からの刺激を感じ取ると、自動的に「決まり切った行動パターン」が発現する、というものです。有名なところでは、魚などの「ナワバリ行動」があります。川魚のトゲウオのオスはお年頃になると自分のナワバリを持ちます。そして自分のナワバリに入ってきた他のオスを攻撃して追い出す行動をするのです。一見すると合目的的な行動パターンは、しかし、実際には「他のオスの腹にある赤い模様」が「リリーサー」となり、それに対して「攻撃を仕掛ける」という「決まり切った行動パターン」が発現しているだけで、魚は何も考えちゃいないのです。

(逆に、このトゲウオのオスは、自分のナワバリに年頃のメスが入ってくると、それが「リリーサー」となり、「求愛行動をする」という「決まり切った行動パターン」が発現し、それが今度はメスにとっての「リリーサー」となり、メスが「求愛行動を受け入れる」という「決まり切った行動パターン」を発現すると、めでたく「合体」ということになるわけです。これら一連の行動も、すべて「リリーサー」と「決まり切った行動パターン」による反応なのであって、魚のカップルは何も考えちゃいないのです。少なくとも、私たちが意味する「考え」という意味では。)

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  さて、カモメの「自分の巣から転げ出てしまった卵を、自分のくちばしと首を使って巣に戻す」という一見すると合目的的な行動はどうか? もうおわかりだと思います。「巣から転げ出た卵状の物体」の存在が「リリーサー」になって、「くちばしと首を使って巣に戻す」という「決まり切った行動パターン」が発現しているだけなのです。カモメは(私たちが「考える」という意味での「考える」という意味では)何も考えちゃいないのです。実際、カモメのこの行動パターンは、カモメの本物の卵よりも、より「卵状のもの」という特徴を誇張した「ニセ卵」の方が強力に、この「決まり切った行動パターン」を引き出すのです。しかも、カモメが「卵状のもの」をくちばしと首を使って巣に戻す動作をしている途中で卵を取り上げてしまっても、カモメはこの行動を止めることができず、巣に戻す行動を虚しく続けるのです。つまり、本当に何も考えちゃいないのです。一見すると、合目的的だっただけなのです。

 

  実は、人間やサル以外のほとんどの動物たちの「一見すると合目的的な一連の行動」は、実際には「目的に方向付けられて階層構造化され順序立てられた動作」などではなく、ほとんど全てが「リリーサー」と「決まり切った行動パターン」の連鎖反応によるものだったのです。

 

  こうしてみると、いかに人間やサルは一種の特殊な能力を持っているか、ということがおわかりかと思います。そして、この特殊な能力(目的に方向付けられた階層構造化された運動プログラミング)をつくりだしているのは、大脳皮質の前頭葉にある「二次運動野」、特にその下の方で頭頂葉との境目付近にある、人間でいうと「ブローカ領域」(サルでいうとF5領域)なのです。

 

 

 

参考書

Shettleworth SJ.  Cognition, Evolution, and Behavior.

進化論の話7

二、三十年くらい前は、脳の「言語野」はどのように考えられていたか?

 

  ここからしばらく進化論的な「言語」能力と「道具をつくり使う」能力の関わりを考えていきます。

 

  その前に、脳の構造・機能として「言語」能力が昔はどのように考えられていたのかを振り返りたいと思います。「昔」とはいっても、たかだか二、三十年前、ちょうど私が学生の頃です。

 

  その頃使っていた教科書(Snell's Clinical Neuroanatomy for Medical Students, 2nd Ed;スネルの医学生のための臨床神経解剖学、第2版、1987年)を引っ張り出してみます。

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  おおかた、今でも正しいとみられているのですが、私たちの大脳皮質にはかなり機能が局在しています。大脳皮質は縦方向に溝があって、左右に分かれていて、それぞれ左半球、右半球などと呼ばれたりします。 そして横方向に大きな溝ががあって、それより前が「前頭葉 frontal lobe」と呼ばれ主には運動(生き物が外界に働きかけていくこと)に関わり、それより後ろが「頭頂葉 parietal lobe」と呼ばれ主には感覚(生き物が外界から情報を取り入れていくこと)に関わります。さらにその後ろが「後頭葉 occipital lobe」であり視覚情報の処理に、その横が「側頭葉 temporal lobe」であり聴覚情報の処理にあたります。

  私たちが「運動」「動作」をするのは、この前頭葉にある運動野がその命令を出しているのですが、個々の筋肉群に細かい指令を出しているのが「一次運動野 primary motor area」です。ところが、ごくごく簡単な動作、例えば「テーブルの上にあるナッツを手で取って食べる」という動作にしても、実は非常に複雑な動きが階層構造によって組み上げられています。(こうした一連の動きをどうしてわざわざ「階層構造的」だと表現するのかは、もう少し後でご説明します。)こうした、一つ一つの「動き」を階層構造的に順序立てて組み上げて、一続きの「動作」にしていく、つまり運動プログラミングをしていくのが「二次運動野(運動前野)」ということになります。いわば、「動作」の概念化、内的な表象をつくっているわけです。

  同様に、感覚系も「一次」と「二次」があります。触覚などの体性感覚にしろ、目からの視覚にしろ、耳からの聴覚にしろ、すべて大脳皮質の「一次体性感覚野」、「一次視覚野」、「一次聴覚野」にまずは送られます。この時点ではほぼ生の感覚情報でしかありません。それが「二次野」に情報が送られていく中で、これがどういう性質があり、何であるかが分析されていくわけです。最終的にはいくつもの感覚情報が統合され、過去の記憶と照合され、「理解」がなされていくわけです。(この感覚情報の統合と過去の記憶との照合は頭頂葉、側頭葉、後頭葉が出会うあたり、つまり頭頂葉の下の方、この後で出てくるウェルニッケ領域あたりで行なっている、ということになるのです。)

 

  さて、大脳皮質はそんな風に機能が局在していることが知られれいるのですが、その中でも特に奇妙なのが、人間における「言語野(言語中枢)」の存在です。

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  私たちが学生だった二、三十年前に大脳の解剖学を学んだ頃には、人間の「言語中枢」は、大部分の右利きの人にとっては左半球にあり、言葉をつくり出すのは「運動性言語中枢」≒「ブローカ領域 Broca' s area」、言葉を聞き理解するのは「感覚性言語中枢」≒「ウェルニッケ領域 Wernicke's area」だとされていました。 例えば、上記の解剖学の教科書にはこんな風に記載されていました:

 

『ブローカの運動性言語野は、下前頭回のブロードマンの44、45野に位置している。大多数の人にとって、この部分は大脳の左半球あるいは優位半球において重要であり、この場所が損傷すると言語麻痺に陥る。少数の大脳右半球が優位半球の人にとっては、この部分の右側が重要になる。優位半球ではない方のこの部分の損傷は言語になんの影響もない。』

 

  『ウェルニッケの感覚言語野は左の優位半球の、主には上側頭回から側頭回をぐるっと回って頭頂葉まで伸びている。ウェルニッケ領域はブローカ領域と神経線維の束で繋がれている。ウェルニッケ領域は後頭葉の視覚野から神経線維を受け取り、側頭葉の上側頭回の聴覚野からも神経線維を受け取っている。ウェルニッケ領域は、文字や声による言葉の理解を可能にしており、人が文章を読み、理解し、声に出すことを可能にしている。』

 

…いったい、脳のこの場所にこんな機能があることをどうやって推定していたのでしょう? その当時は脳機能画像検査(fMRIなど)もなかったので、病気や怪我で脳のこの部分を損傷した人にどのような症状が出るか?といったことから、この部分の機能を推定していたのです。すると、ブローカ領域を損傷した患者さんは(単語など簡単な)言葉を理解することはできても、自分で言葉を使うことはできなくなることから、この部分が言語活動の運動性の機能をつかさどっているのだろうと考えたのです。同様に、ウェルニッケ領域を損傷した患者さんは意味をなさない言葉らしきものを喋ることはできても、言葉を理解する能力が失われてしまうので、この部分が言語活動の感覚性の機能をつかさどっているのだろと考えたのです。しかも、これらは基本的に「優位半球」のことであり、優位半球ではない方(多くの人にとっては右脳)は、損傷されても目立った言語障害が出なかったことから、言語活動には関与していないのだろうと考えられていたのです。

 

  でも、どうなんでしょうか? いくつもの疑問が生じます。

 

  なぜ言語中枢だけ、こんなに極端に左右に機能が分かれてしまっているのか? 本当に「優位半球」ではないもう片方(多くの人にとっては右脳)は言語活動に関して何もしていないのか?

 

  動物の中で言語を持つのは人間だけなら、他の動物ではどうなっているのか? 人類の進化の中で、人類が言語能力を獲得した時に、脳のこの部分が「言語中枢」として突如生じた、とは考えにくくないか?

 

  言語によって形を与えられている「意識的思考」とはいったい何なのか? 私たちが意識する自分の「気持ち」や「行動の意図」は本当は私たちの行動の原因ではないことがわかっている。むしろ、私たちの行動は無意識的に引き起こされていて、「意識的な意図」は後付けの説明に過ぎないことがわかっている。そうであるなら、私たちの「意識」の中に私たちが感じる自分の「気持ち」や「意図」にはいったいどういう意味があるのか?

 

  さらにいうと、私たちが意識する「自分」とはいったい何なのか?

 

 …こうした疑問を解いていくには、人類が言語能力を獲得した進化論的な背景を探り、言語能力と並んで人類に独特の能力である「道具をつくり使う」能力の獲得との関係を見ていかなくてはならないのでした。

 

 

参考書

Snell RS.  Clinical Neuroanatomy for Medical Students, 2nd Ed. (1987)  Little,Brown

こぼれ話;一緒に歌うと仲良くなれる?

   人類にとって「歌」はサルにとっての「毛づくろい」から発展してきたとすると、サルにとっての「毛づくろい」が群れの仲間同士の絆を深めることに役立っているだろうことを考えると、人類にとっての「歌」にも同じ役割があったのだろう、と思えます。

 

  そして、私たち人類の遠い祖先が「歌」によって仲間同士の絆を深め、群れ(社会)をつくり維持していただろうということは、現代に生きる私たちにもその能力が残されている可能性は高いはずです。

 

  本当にそうなのか? 私たちは仲間同士で一緒に歌ったり踊ったりすることで、仲間同士の絆が深まり、仲間意識が強まり、お互いにポジティブな気持ちが持ちやすくなり、ひいては生産性の向上につながるものなのか?

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  どうやら、本当にそうらしいのです。

 

  例えば、Kreutz先生たちの研究では、集団で歌を歌った場合と、集団でただ喋っていた場合を比較して、歌を歌った場合の方がポジティブな感情がより強まり、ネガティブな感情が減り、さらに「愛と勇気と絆のホルモン」と呼ばれているオキシトシン oxytocinの分泌がより良くなったことが示されています。

 (脳下垂体後葉から分泌されるペプチド系ホルモンであるオキシトシンは、古くから子宮収縮や乳汁射出を促すホルモンとして知られていましたが、最近では中枢神経系への働きとして、「愛のホルモン」あるいは「社会性のホルモン」として知られるようになっています。つまり、男女間であれ、仲間関係であれ、人と人とのつながりを強め、愛を強め、相手のためなら自分を犠牲にしたり多少のリスクは引き受けるようになるなど勇気を高める作用があることがわかってきたのです。男女間においては、恋人同士が物理的・身体的に近くにいることで分泌が多くなり、セックスでオルガスムに達すると分泌は最大限にまで達します。こうして、一緒にいる恋人との「愛」と「絆」を深めることに役立っているわけです。また社会的には、一緒にいる相手に対する信頼感が増し、仲間意識が増し、共同作業をしやすくなることに役立っていることも知られているのです。)

 

   また、Wiltermuth先生とHeath先生たちの研究では、大勢の被験者の人たちにグループをつくってもらい、「みんなで歌って踊ってみたグループ」、「みんなで歌ってみたグループ」、「(みんなではなく)一人一人で歌って踊ってみたグループ」、そして「歌ったり踊ったりしなかったグループ」にわけて、グループ内での共同作業が必要なゲームをしてもらいました。その結果、「みんなで歌って踊ってみたグループ」と「みんなで歌ってみたグループ」ではグループのメンバー同士の協調性が良くなり、利他的な行動が増えることが示されたのです。

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(面白いことに、ただ「一緒にだらだら歩くこと」と「歩調を合わせてみんなで行進してみること」を比較すると、後者の方がよりグループの協調性が高まったことも示されています。つまり、リズムに合わせて一緒に何かをすること、一緒に歌うこと、一緒に踊ること、こうした行動には、やはりグループの凝集性を高め、協調性を良くし、集団・社会としての生産性を高める効果があろうことが示されたのでした。)

 

…なんと、驚きです。 私たち現代に生きる人類も、こういうところはサル人間や原始人の頃と何一つ変わっちゃいなかったのです。私たち現代人も、仲間で集まって、みんなで一緒に歌ったり、踊ったり、リズムに合わせて身体を動かし合うだけで、仲良くなれる潜在能力を持っていたのです。

 

  こうしてみると、今となっては古い昭和の時代から、なぜ学校で、職場で、軍隊で、そういった協力性・協調性が重視される集団では、みんなで一緒に歌を歌ったり、ラジオから流れる音楽に合わせてみんなで体操したり、行進曲に合わせてみんなで行進したりしていたのか?という理由がわかります。こうした集団活動は決して前時代的で非合理的な習慣などではなかったのです。それどころか、集団の凝集性を高め、協調性を高め、ひいては集団の生産性・競争力を高めるための極めて合理的な手段だったのでしょう。「そんな前時代的な…」と思われるかもしれませんが、人類進化の大きな流れのなかで、私たちの脳は十年ひと昔どころか数万年くらいではそう大きくは変化しないのです。

 

 

 

参考書

 Kreutz G.  Does Singing Facilitate Social Bonding?  Music & Medicine, 2014; 6: 51-60.

 

Baimel A, et al.  Enhancing "Theory of Mind" through behavioral synchrony.  Frontiers in Psychology, 2015: Article 870.

 

Schllenberg E.G., et al.  Group music training and children's pro social skills.  PLos ONE, 2015; 10: e0141449.

 

Kirschner S & Tomasello M.  Joint drumming: social context facilitates synchronization in preschool children.  Journal of Experimental Child Psychology, 2009; 102: 299-314.

 

Wiltermuth S & Heath C.  Synchrony and cooperation.  Psychological Science, 2009; 20: 1-5.

 

 

進化論の話6

   人類にとっての声、歌、音楽というものをもう少し考えてみます。

 

  人間は複雑な発声装置(声帯・喉頭から口腔内の構造、呼吸関連の筋肉、そしてこれらを精密に動かす神経)を発達させて、「声」を意図的に操作することで、そこに自分の気持ちを表現することができるようになりました。(おそらく、こうした何かを意図的に操作することで、自分の思った何かを形にしていく、という行動は人類の祖先が道具をつくり使うことで発達させてきた能力だったのでしょう。)「声」に自分の気持ちが乗るようになる。 ここにおいて、人間にとって「声」は自分の延長であり、自分そのものになってきます。

 

  そう、たとえ歌詞を持たないハミングのような簡単な「歌」ではあっても、私たちが声を使って自分の内側にあるものを外側に形にしようとすること、こうしてつくられたものに何らかの気持ちや意図といった意味を持たせようとすることは、「道具をつくること」という行動とどこか似てているところがあります。

 

  この時、脳の中では何が起こっているのか? 「声」あるいはもっというと「音楽」というものに対して、私たちの脳はどのように反応しているのか?

 

  実は、「声」にも「音楽」にもそれを構成する要素があります。「音階・音調」と「リズム」です。 どういうわけか、「音階・音調」と「リズム」は脳の中で別々に分析されてゆき、「音階・音調」は右の二次聴覚野とそれに隣接する前頭葉(運動をプログラミングする部分)、「リズム」は左の二次聴覚野とそれに隣接する前頭葉の部分で、それぞれ情報処理されるのです。

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    私たち人間の感情的なものは、音楽で言えば「リズム」よりも「音階・音調」に、喋る言葉で言えば「単語の内容」よりも「声の調子(トーン)」により表現されるところがあります。そっちは、主には右脳で処理されるのです。一方で、音楽で言えば「リズム」という要素は(そして言葉で言うと単語やその配列・組み合わせは)左脳で処理されます。

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  いったいなんでそうなってしまったのでしょう? 

 

  ここから先は推論・想像の世界です。 私たち人類の祖先が声を使ってコミュニケーションをする能力を発展させていた頃、同時に手を使って道具をつくり使う能力も発展させていたと見られます。 手を使って道具をつくったり使ったりすることには、右手も左手も使います。 しかも、右手には右手の役割が、左手には左手の役割があります。

  

 例えば、普通にごはんを食べることを想像してください。多くの右利きの人は、右手で箸を持ち、左手で椀を持ちます。右手はリズミカルに細かい動きをしますし、左手は全体の流れをつくります。 あるいは、木材に金づちで釘を打ち込むことを想像してください。左手で釘を持ち、右手はリズミカルに金づちを叩き下ろすことでしょう。彫刻刀を使って彫刻をする時も同様です。そして、原始人が素材の石を左手でおさえ、ハンマーとなる石を右手で持って石器をつくるのも同様だったでしょう。だいたい、いつもこんな感じで役割が分業しているのです。

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  これは当然と言えば当然です。こうした運動スキルというのはしっかり身につくまで、長い時間をかけて、何度も練習して、身体が覚えこむ必要がありますから、「右手はいつでもこの役割」「左手はいつもこの役割」というように特化して覚えていったほうが効率良いのです。 それで、多くの人(右利きの人)にとっては、右手はリズミカルに細かいつくりこみをする役割であり、左手は全体の大きな流れ(文脈)をつくる役割に特化していくわけです。すると、右手を優位に支配する左脳はリズミカルに細かいつくりこみをする能力に強くなり、左手を優位に支配する右脳は全体の流れ(文脈)をつくる能力に強くなっていくようにできているのではないか?と思えてきます。

 

 さて、もう何が言いたいのかお分かりになってきたと思います。そうです、道具をつくり使うことのために発達してきたこの右脳と左脳の能力を、「声」や「歌」をつくり使うことにも応用したのだろう、ということです。 もともとリズミカルで細かいつくりこみが得意な左脳が「声」や「歌」のリズム的な要素を、もともと全体の流れをつかむのが得意な右脳が「声」や「歌」の音階・音調で表現される感情的な要素を、それぞれ分業して処理するようになったのだろう…と想像されるのです。

(この右脳と左脳の分業の話は、このあと「言葉」の能力のところで、さらに詳しくもう一度見直していくことになります。)

 

 

参考書

Jimb CJ.  Structural and functional neural correlates of music perception.  THE ANATOMICAL RECORD PART A 288A:435–446 (2006)

 

Wildgruber D, et al.  Cerebral processing of emotional prosody: a network model based on fMRI studies.

 

Fitch WT & Martins MD.  Hierarchical processing in music, language, and action: Lashley revisited.  Ann. N.Y. Acad. Sci. 1316 (2014) 87–104.

 

Morley I.  A multi-disciplinary approach to the origins of music: perspectives from anthropology, archaeology, cognition and behaviour.  Journal of Anthropological Sciences Vol. 92 (2014), pp. 147-177.

 

 

進化論の話5

  サルたちが群れのメンバー同士の絆を育むためにしている「毛づくろい grooming」。そこから発展したであろう、一緒にハミングのような声を上げること(≒歌を歌うこと)。 こうしたことが可能になるように脳が発達し、声を出すための身体の仕組みが発達し、その結果として大きな(個体数150〜200くらいの)群れをつくり維持することができるようになってきた。しかし、私たち人類の直接の祖先である「アフリカのイブ」が20万年前くらいに現れる直前までは、私たちの祖先がネアンデルタール人と枝分かれする頃はまだ、ハミングのような「歌」はあっても、考えを伝える道具である「言葉」はまだなかったのだろうと考えられています。

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  いったい、どうしてそんなことがわかるのか?

 

  実は、言葉を喋るためには、かなり複雑で精密な身体の動きが必要です。「言葉」でも「歌」でもない、人間以外の動物たちが普通に作り出している「鳴き声」は、そのほとんどが呼吸にして一息で終わってしまう、きわめて単純な音です。いくつもの複雑な周波数の組み合わせの声を、しかも時間的に変化させて出すには、複雑な動きをすることができる声門と喉頭、そして呼吸をおこなう筋肉を支配する神経の細かさが必要です。人間以外のサルたちには、そもそもここが欠けているので、歌を歌うこともできませんし、ましてや言葉を操ることなどもできないのです。

 

  それどころか、人類の祖先が生きていた頃の化石になっているサル人間の骨格を調べていくと、その骨格を通る神経の走行などから、ある程度長い時間強弱のある精密な呼吸をコントロールして声を出すこと(≒音階とリズムからなる歌らしきものを歌うこと)ができるようになったのは、せいぜいネアンデルタール人の頃からなのです。それ以前のサル人間たちは、二足歩行をすることもでき、大脳皮質はだいぶ大きくなり、道具を使うことさえできていたにもかかわらず、歌や言葉どころか、おそらく複雑な声を出すことさえ、解剖学的にできなかったのだろうと見られているのです。

 

  では、ネアンデルタール人はどうだったのか? ネアンデルタール人の化石を詳細に分析してみると、「言葉」をつくりだすのに必要な声門・喉頭から口腔内までの構造が未発達すぎて(垂直部分よりも水平部分が長すぎて)、これではハミングのような歌を歌うことはできても、複雑な「言葉」は作れなかったであろうと考えられるのです。

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  人間の子どもの成長・発達において、「音楽」に対する反応は「言葉」よりも早く始まります。実際、赤ちゃんに話しかける母親はきまって「歌を歌うような」独特の音階とリズムをつけて話しかけがちなことが良く知られています。ということは、人間の進化の過程で、おそらく「音楽」の能力は「言葉」の能力の獲得よりも早かったのだろうと思えます。

 

  たとえ「言葉」(歌詞)のない、ハミングのような歌でも、そこには音階・音調とリズムがあります。そして、主には音階・音調によって喜怒哀楽のような全般的な感情を伝えることができることも良く知られています。音階・音調が全体の流れとしての感情的なものを伝え、リズムがまた別の意味合いを伝える。(面白いことに、「音楽」においては、音階・音調は右脳で、リズムは左脳でそれぞれ処理されます。これは、あとでやりますが、「言葉」において感情を表現する声のトーンや文脈などの全体の流れを右脳がつくり、個々の細かい作りこみである単語の配列を左脳がつくる、というのと似ています。この点からも、音楽と言語は起源が同じだったのだろう、と推定されるわけです。なぜ右脳と左脳で機能が分かれることになったのか?という疑問は、道具をつくることと使うことに関連して、言語能力の獲得のところで考えていきます。)

 

  …こうして、おそらくネアンデルタール人やそれと同時代くらいの私たち人類の祖先は、仲間同士で一緒に歌い踊ることで、仲間の絆を深め、より強く大きな群れ(社会)をつくり維持していくことができるようになったのでしょう。それはおそらく、言葉などなくても、死んだ仲間を丁寧に弔うことをするくらいには、仲間同士の絆と思いやりの強い、割としっかりした社会だったのではないか?とさえ思えるのです。

 

 

 

参考書

Lieberman P & McCarthy R. Tracking the evolution of language and speech. Expedition, 49: 15-20.

 

 Morley I. A multi-disciplinary approach to the origins of music: perspectives from anthropology, archaeology, cognition and behaviour. Journal of Anthropological Sciences Vol. 92 (2014), pp. 147-177.