心のこと…

「医科心理学」の知識を遊ぶ

「心」の解剖・生理学への第一歩、細胞。

  話は打って変わって私たちの「心」の解剖・生理学に入ります。 私たちの「心」のありかは基本的には中枢神経系(主には脳)にあると考えられているわけですが、その中枢神経系をつくる構成要素として「神経細胞ニューロン neuron」があります。

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  かなり変わった形をしていますが、それ以外の普通の細胞と同じ基本的な性質も持っています。

  まずは普通の細胞の基本的な構造を見てみます。

 

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  細胞は、細胞膜という脂質の二重膜で覆われています。脂質はイオンを通しませんから、イオンを通す特殊なチャンネルが開いていなければ、イオンが行き来することもありません。

  そして、この細胞膜にはいくつものタンパク質が埋め込まれているのですが、そのうちの一つに「Na+/K+ポンプ」と呼ばれるものがあります。

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  これは「イオンポンプ」の名の通り、細胞レベルでのエネルギー源であるATP(アデノシン三リン酸)を消費して細胞外にNa+を3つかき出し、細胞内にK+を2つ取り入れます。 細胞が生きているかぎり、このポンプは作動し続けていますから、これによって細胞内と細胞外には電位差ができることになります。

  ところが、この性質は神経細胞や筋肉細胞に見られるものですが、細胞が「興奮」することがあります。 どういうことが起こっているかというと、細胞膜に埋め込まれているタンパク質の一つであるNa+やK+を選択的に通過させることができる「イオンチャンネル」のゲートが開いたり閉まったりすることがあるのです。

 

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  ゲートが開けば、そのチャンネルが通過させることのでくるイオンが細胞膜を行き来することができますから、Na+もK+も膜を隔てての濃度勾配に従って行き来するようになります。 これによって、先ほどまで「Na+/K+ポンプ」で作られていた細胞膜内外の電位差が変化することになります。 この電気的な変化を「興奮」と呼んでいるのです。

  さて、神経細胞や筋肉細胞の細胞膜にあるこれらの「イオンチャンネル」のゲートは、細胞膜内外の電位差の変化によって開いたり閉じたりします。 このため、興奮した場所のゲートが開くとイオンの出入りによって電位差が変化しますから、その隣の場所のゲートも開いてしまい、結果として「興奮」はどんどん広がって行くことになります。 これが「興奮の伝搬 propagation」になるわけです。

 

 

参考書

Guyton and Hall Textbook of Medical Physiology, 13e (Guyton Physiology)   Saunders (2015/6/3)  

Raven Biology  McGraw-Hill Education(2016/1/11)

こぼれ話;男はなぜマスターベーションをするのか?

  長々と続けてきた進化心理学の話はこの辺で一旦終了にして、つぎの「心」の解剖・生理の話に入っていこうと思うのですが、どうでもいい話ながら、ちょっと興味深い話を取りこぼしていました。

 

  男の人はなぜマスターベーションをするのか?

 

  進化論的に見れば、せっかくつくった精子マスターベーションによって無駄にするのは、本当に無駄に見えます。 生き物たちの行動の基本原則に反する気がします。 ところが、現実にはほとんどの男の人はマスターベーションをしては精子を無駄にしますし、実をいうと、この習性は私たち人間だけではなく、哺乳類全般にひろく見られるものです。

 

  さらに、配偶者を得ることができなかった男性が(オスが)、使い道のない精子マスターベーションで廃棄処分にしているなら分かりやすいですが、現実には配偶者がいて、せっせと子づくりをしている動物たちの方がせっせとマスターベーションをするのです。 

 

  あたかも、マスターベーションという行動が子づくりをより効果的に行うための「お手入れ」だと言わんばかりにです。

 

  これは一体どういうことなのか?

 

  「精子競争 sperm competition」という用語で以前にも出てきた有名なBaker先生とBellis先生たちの実験があります。 彼らの実験は、今から見ると古色蒼然です。 男性が女性の体の中に射精した精子が、どれだけ外に捨てられずに女性の中に残るかを、セックスが終わったあとで女性の膣から外に流れ出る「バックフロー」と呼ばれる液の中にどれだけ精子が含まれているかを数えて推定したのです。 すると、不思議なことがわかりました。 男性がマスターベーションをしないで何日も過ごしていると、そのあとで射精した精液は量も多く、その中に含まれている精子も多いのに、結局女性の体の中に残ることができる精子は少なく、多くが「バックフロー」という形で外に捨てられてしまい、無駄になってしまうことがわかったのです。

 

  そんなことを男性たちは知るはずもないのですが、ほぼ本能的になのでしょう。 男性たちはセックスやマスターベーションで射精しないことが数日以上続かないように行動していることも示されたのです。 つまり、多くの男性は、前回のセックスから1日、2日しか経っていないと、マスターベーションをすることはありません。しかし3日も経過してしまうと約半数はマスターベーションをして、とりあえず精子を出してしまうのでした。 さらに10日以上経過してマスターベーションをしないような男性はほぼ皆無でした。 実際、ほとんどの男性はマスターベーションしてから2〜4日以内に次のセックスをするように行動しており、こうしてつくられたばかりの新鮮な、生きのいい、精子を出そうとしているのでした。

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  本当にそうなのか? 本当に精子は定期的に出していないと生きが悪くなるのか? どうも本当のようなのです。

  昔は不妊治療をするときに、男性には長期間の「禁欲」をすすめていました。 当然、禁欲期間が長ければ長いほど、次の射精のときに精液がいっぱい出ますし、精子もいっぱい入っているので、その方が良いだろうと思われていたのです。

  ところが、出てくる精子の形態や運動能力には問題がありました。 禁欲期間が1、2日くらいの精子が形態や運動能力が最もよく、それよりもふるくなってしまうとどんどん劣化してくることがわかってきたのです。10日以上も禁欲期間が続いてしまうと、精子の質はガタッと悪くなるのでした。

 

  実際、子づくり世代の若い男女のセックスの頻度は3日に1回くらいであろうと見られており、精子の生きの良さを考えると、最適な頻度となっているわけです。

  例によって進化論の話ですから、ここに意図などありません。 そういう行動パターンの男女が、結果的に最も多くの子孫を残してきたために、現代の私たちにもその行動パターンが遺伝子に組み込まれたプログラムとして存在している、ということなのでしょう。

 

 

参考書

Waterman JM.  The Adaptive Function of Masturbation in a Promiscuous African Ground Squirrel.  PLos One, September, 2010; Volume5: e13060.

 

Baker RR & Bellis MA.  Human sperm competition: Ejaculate adjustment by males and the function of masturbation. Animal Behaviour, 46,861-885.

 

Levitas E, et al.  Relationship between the duration of sexual abstinence and semen quality: analysis of 9,489 semen samples.  Fertility and SterilityVol. 83, No. 6, June 2005

人種差別はずっとずっと 2

  私たち人間は、意識的にどう思っていようが、おそらく生まれつきのデフォルトの特性として、自分と遺伝子的に近い、広い意味での「身内」に対しては優しくできる一方で、自分とは違う人種・民族の人たちに対して共感できず協力できず意地悪にさえなってしまう傾向があることをお話ししてきました。

 

  困ったことに、この傾向は無意識的・潜在的なのです。 意識的・表面上は「人種差別など馬鹿げた、恥ずべきことだ」と思っている人でも、無意識的にそうなってしまうことが知られているのです。

 

  そんな無意識的な傾向をどうやって調べるのか? 潜在的連想試験 Implicit association Test=IATというものがあります。 

  私たちの脳の中では情報が連想 associationという形で関連付けられています。 その関連付けが強ければ強いほどすぐに反応することができます。 例えば、「蝶」ー「きれい」や「ウジ虫」-「きたない」は、「蝶」-「きたない」や「ウジ虫」-「きれい」に比べて、多くの人にとっては当然、関連付けが強いので、「蝶」-「きれい」を関連付ける反応時間は「ウジ虫」-「きれい」を関連付ける反応時間よりも短くてすみます。

  これを利用するわけです。 白人の被験者に対して、その人が潜在的な黒人への人種差別が強い場合、「白人」-「良い人」は「黒人」-「良い人」よりも反応時間が早くなるはずです。 同様に「黒人」-「悪い人」は「白人」-「悪い人」よりも反応時間が早くなるはずです。 それで実際に実験をしてみると、意識的に人種差別意識があるかどうかに無関係に、少なからぬ白人被験者は無意識的・潜在的に「黒人」-「悪い人」という関連付けが強く、要するに黒人に対する人種差別があることが示されているのです。 しかも、このIATを使って評価した無意識的・潜在的な人種差別傾向の方が、意識的な人種差別意識があるかないかという自己申告よりもはるかにずっと、その人の人種差別的な行動に影響を与えてしまうことも示されたのです。

 

  まったくしょうがないな、白人と黒人は…なんて私たち日本人は言っていられません。 世界的にも、日本人は韓国人を嫌いで、韓国人は日本人を嫌いなのは(恥ずかしい話ですが)よく知られています。 こんな人種差別(民族差別 racism)は馬鹿げている、恥ずかしいことだ、と思っている人は多いものです。 ですが、潜在的連想試験IATをやってみると…

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  多くの韓国人にとって「韓国人」-「良い」vs「日本人」-「悪い」は潜在的に関連付けられていますし、多くの日本人にとって「日本人」-「良い」vs「韓国人」-「悪い」は潜在的に関連付けられているために、実際に潜在的連想試験をすると、多くの韓国人は「韓国人」-「良い」よりも「日本人」-「良い」という関連付けには反応時間が多くかかってしまい、多くの日本人は「日本人」-「良い」よりも「韓国人」-「良い」という関連付けには反応時間が多くかかってしまうのでした。 意図的・意識的な民族主義的な態度に無関係に、です。

 

  一つ前の話で、私たち人間は、自分と同じ人種を相手した方が、自分と違う人種を相手にするよりも、より協力的な共同作業をすることができる(逆に言うと、違う人種の人が相手になると、あまり信用も出来ないし協力的な共同作業をすることもできなくなる)ということをお話ししました。 あの傾向も、意図的・意識的な人種差別意識には無関係に、しかし潜在的連想試験IATで測定した無意識的な人種差別にはかなり良く相関することが示されています。

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  同じような話ですが、被験者に実際にお金を預けて、見知らぬ他人を信用してお金を運用する課題を与えた時に、その相手が自分と同じ人種か、違う人種かによって差が出てしまうこともよく知られています。 つまり、意図的・意識的に人種差別意識があるかどうかに無関係に、私たちは同じ人種の人をより信用し、違う人種の人をあまり信用しない傾向があり、自分の大切なお金を預ける相手として、相手が同じ人種である場合に比較して違う人種である場合は、どうしても預けるお金が少なくなってしまう傾向があることも示されています。 この行動的な人種差別の傾向も、意識的ではない、無意識的な人種差別を測定する潜在的連想試験IATの結果によく相関することもわかっているのです。

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  口ではどんなに偉そうなことを言っていても無関係です。 意識的に人種差別意識があるかどうかに無関係です。 私たちには、どうしようもなく、人種差別・民族差別 racismの傾向が、おそらく生得的なデフォルトの特性として、あるのです。

 

  では、この問題はどうにもならないのでしょうか?

 

  潜在的、無意識的なものなので、意識的・意図的に教育しても無意味です。 ところが、これまたこれまでの研究で示されているところでは、ただ他人種・他民族の人たちと一緒にいる時間が多ければ多いほど、差別的行動傾向は少なくなることもわかっています。 無意識的なものは意識的に変えていくことはできないが、行動的に変えていくことはできる…という話は、この後も何度も出てくると思いますが、人種差別の問題についても、これが答えだったのです。

 

 

 

 

参考書:

Greenwald AG, et al.  Measuring Individual Differences in Implicit Cognition:
The Implicit Association Test.  Journal of Personality and Social Psychology, 1998, Vol. 74, No. 6, 1464-1480.

 

Sacheli LM, et al.  Prejudiced interactions: implicit racial bias reduces predictive simulation during joint action with an out-group avatar.  SCIENTIFIC REPORTS | 5 : 8507 | DOI: 10.1038/srep08507.

 

Stanley DA, et al.  Implicit race attitudes predict trustworthiness judgments and economic trust decisions.  PNAS, 2011; 108: 7710-7715.

 

 

人種差別はずっとずっと 1

   私たち人間は、ほかの動物たちと同様に、自分と遺伝子的に近い「身内(血縁者)」をより大切にし、より愛他行動(利他行動)altruismをする傾向がある、ということをお話ししました。

 

  これは逆に言うと、自分と遺伝子的に遠い「他人」に対しては、(相対的には)あまり大切にしないし、むしろ意地悪さえする傾向がある、ということでもあります。

 

  これを拡大していくと、遺伝子的にかなり遠い「他民族」や「他人種」に対して、相対的にあまり大切にしないし、むしろ意地悪さえすることがある、つまり「人種差別 racism」をすることに理論的に行き着きます。

 

  すると、世界中あちこちに見られる他民族・他人種への嫌悪感、敵意、差別といったものは、私たちの遺伝子の中に最初から組み込まれているデフォルトのプログラムであり、つまりまたしてもこれは「原罪」であり、どうにもできないものなのか? という疑問が生じます。

 

  本当なのか? などと確認するまでもないことなのですが、それをいちいち確認するのが科学です。

 

  試しに白人の人たちに被験者になってもらい、ゲーム上で警察官の役をやってもらいます。 画面には見知らぬ人物が何かを持って出てきますが、持っているものが銃であるならできるだけ早く射殺し、そうではないなら撃ってはいけない、というルールにします。 ここで登場する見知らぬ怪しい人物が、被験者と同じ人種(白人)であるか、違う人種(黒人)であるかによって、被験者のパフォーマンスに差が生じるでしょうか?

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  Correll先生たちが行った実験では、予測通りの結果でした。 白人の被験者の人たちは、「怪しい人物」が持っているのが銃ではない場合、相手が自分と同じ白人である場合に比べて、黒人だと間違えて撃ってしまう傾向が強かったのです。

 

  相手が自分とは遺伝子的に離れている、民族・人種が違うと、なかなか優しくなれないし、ひどく厳しくなってしまい、攻撃的になってしまう傾向は、ほかにもいろいろな形で現れてきます。

 

  例えば、相手の苦痛に対する共感性です。 身体的な痛みというごくごく簡単な「痛み」に対する共感性においてさえ、「痛み」を感じている相手が自分と同じ人種である場合に比べて、違う人種であると、痛みに対して共感しにくくなってしまうのです。 実際、オーストラリアのCao先生たちが中国人の被験者を対象に行った実験では、被験者が見る「痛み」を感じている見知らぬ人物が、同じ人種(中国人)であったり、違う人種(白人)であったりします。

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  すると、中国人の被験者は、同じ人種の中国人が痛い思いをしているときは痛みに対してちゃんと共感できるのですが、違う人種である白人が痛い思いをしているときには、それほどちゃんと痛みに対して共感できないことが示されたのです。

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  このことは現実的な問題にさえなります。実際、他人種がたくさん暮らしているアメリカなどでは医療従事者の人種差別racismが科学的に証明されています。 医療従事者ですから、別に意図的に他人種に対する差別意識があって差別しているのではないのです。 ただ、共感性の回路がうまく働かないために、ちゃんと共感することが難しくなってしまうのです。

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  さらに、相手の苦痛に共感しにくい問題は、単純な身体的な苦痛だけではありません。 「仲間外れにされること」など社会的・心理的な苦痛に対しても、その相手が他民族・他人種であると、共感性が悪くなることも示されています。 おわかりでしょうが、これは容易に「いじめ」や「差別」につながっていきます。

 

  民族・人種が違うと共感性 empathyが悪くなる、という事実のために、相手の気持ちをちゃんと把握して一緒に取り組まなくてはいけない共同作業も他人種同士では難しくなります。 Sacheli先生たちは(実際の人間相手ではなく)コンピューター上の「アバター」を相手に、被験者が共同作業をする実験を行いました。 共同作業といっても非常に単純で、画面にあらわれる「瓶」に対して、相手が先っぽを持つときは、こっちは根元を持つ。 相手が根元を持つときは、こっちは先っぽを持つ、というだけのものです。 それでも、白人の被験者がやってみると、「アバター」が自分と同じ白人の時に比べて、自分と違う黒人の時は、今ひとつ共同作業がうまくいかなくなってしまうのでした。

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  重要なのは、こうした「差別」が意識的になされているのではない点です。 実際、意識的には「差別意識なんて持っていない」と公言する人でも、行動上は(無意識的に)差別的な行動が出てしまうのです。 これは一体…?

 

 

 

参考書

Correll J, et al.  The Police Officer’s Dilemma: Using Ethnicity to Disambiguate Potentially Threatening Individuals.  Journal of Personality and Social Psychology, 2002, Vol. 83, No. 6, 1314–1329.

 

Sacheli LM, et al.  Prejudiced interactions: implicit racial bias reducespredictive simulation during joint action with an out-group avatar.  SCIENTIFIC REPORTS | 5 : 8507 | DOI: 10.1038/srep08507.

 

Cao Y, et al.  Racial bias in neural response to others' pain is reduced with other-race contact.  Cortex 70 (2015) 68-78.

 

 

悪い奴らをやっつけろ 2

  進化論的な観点から、純粋に論理的・数学的に導かれる結論として、私たち人間が「悪い奴らをやっつける」という行動パターンを持っていることが、私たち人間がつくる強い群れ(社会)を維持していくために必要だ、ということになりました。

 

  良いも悪いもない。 正しいも間違っているもない。 ただ進化の必然として「正義を愛し、悪を憎む心」を私たちはそなえているはずだということになるわけです。

 

  本当なのか? 本当に私たち人間はだいたいにおいて「正義を愛し、悪を憎む」≒「協力的な人を大切にして、みんなの利益にタダ乗りしようとする悪い奴らをやっつける」心を持っているものなのか?

 

  というわけで、Fehr先生とGachter先生は被験者を集めて実験をしてみました。「一人はみんなのために」という助け合いを行うPublic Good Gameというお金をかけるゲームをやってもらうのです。 メンバーが「みんなのために」お金を使えば、その分だけ得られる利益もあがり、みんなが助かります。 しかし、お金を惜しんで使わない選択をすることもできます。 みんながお金をかけて得てくれた利益だけをもらってしまうことができるのです。 そうすると、どうやっても自分だけ利益にタダ乗りしようとする「悪い奴」が出てきます。 結果として全体の生産性は下がってしまうのです。 

  ところが、ここにもう一つルールを入れて、また別のお金を払って、誰かを罰する(罰金を取り上げる)ことができる、ということにします。 すると、ゲームの参加者は「タダ乗り」をしている「悪い奴」に対して、自分がお金を余計に払うことになっても、罰を与えるという行動をするようになります。 実際、ほとんどの人(8割以上)が、そうした行動をするのでした。 結果として、「悪い奴」が「タダ乗り」をすることは抑えられ、全体の生産性も上がるのでした。

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  そう、私たちは進化論をもとにした数学的な結論の通りに、「悪い奴らをやっつける」本能的な行動パターンがあるのです。 こうした、自分の貴重な時間と労力とお金を使ってでも、ある種のコストやリスクがあっても、「悪い奴らをやっつける」という行動をすることを、愛他的(利他的)懲罰 altruistic punishment と呼びます。

 

  この本能的な行動パターンは、それを行っている時に脳の活動性を調べてみると、大脳基底核尾状核などが強く活動していることがわかっています。 つまり、ある種の脳の中の「報酬回路」の働きにより、私たちは「悪い奴らをやっつける」行動をするように動機づけられているわけですし、その行動をするととてもすっきりとする快感を得られるようにできているわけです。

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  そう、正義の味方が悪い奴らをやっつけるのは、正義のためでもなんでもない、ただ自分が快感を得たかったからなのです。

 

  いずれにしろ、ほとんどの人が「悪い奴ら」に対して怒り・嫌悪感を持ち、実際に彼らをやっつける行動に出ることから、「タダ乗り」などの悪い行動は抑えられ、逆に協力的な行動が促進されることになります。 自分が「タダ乗り」という悪いことをすると、みんなに嫌われ、やっつけられてしまう、という体験はやがて内在化し「罪悪感」という形になるでしょう。 このことによって、私たちは「悪いこと」をしたくない気持ちになり、逆にみんなの役に立つ「良いこと」をしたくなるわけです。 この結果として、血縁関係でも何でもない赤の他人に対して、今後二度と会うことも無いであろう見知らぬ人に対して、私たちはそれでも「良いこと」をしてあげたくなるのです。

 

  つまり、私たち人間が持つ「協力性 cooperation」あるいは「愛他(利他)行動 altruism」というのは、「悪い奴らをやっつける行動」=「愛他的(利他的)懲罰」によってつくられていたのであり、この2つは表裏一体だったのです。

 

  なんと、「悪い奴らをやっつける」ということと、「他人によくしてあげること」は切っても切れない関係だったわけです。 科学的な思考に明るくない法曹界の人たちは、犯罪者を罰するべきではないという議論をすることがありますが、あれは全く間違ったことだということになります。 悪い奴らは罰しなくてはいけないのです。 これは人に対して優しくすることと等価だからです。

 

 

 

参考書:

Fehr E & Gachter S.  Altruistic punishment in humans.  Nature, 2002; 415: 137-140.

 

Jensen K.  Punishment and spite, the dark side of cooperation.  Phil Trans R Soc B, 2010; 365: 2635-2650.

 

Gachter S, et al.  The long-run benefit of punishment.  Science, 2008; 322: 1510.

 

de Quervain D, et al.  The neural basis of altruistic punichment.  Science, 2004; 305: 1254-1258.

 

 

悪い奴らをやっつけろ 1

  私たち人間を含めて動物たちは基本的に(1)自分の身体を成長・維持・強化することか、(2)子づくり・子育てに資することか、そのどちらかしかしていないはずだ、ということをお話ししました。

  そのうえ、私たちは利己的な遺伝子が動かしている利己的なダーウィン・マシンに過ぎず、自分の遺伝子が生き残り、増えていくのに役立つことしかしていない、ということもお話ししてきました。

 

  一見すると、この原理・原則に反するように見えるのが、「協力性 cooperation」とか「愛他(利他)行動 altruism」でした。 しかし、多くの愛他(利他)行動は自分と同じ遺伝子を持っている血縁関係にある他者に向けられているものであって、それゆえにこうした「愛他(利他)行動」も実は自分の遺伝子(自分と同じ遺伝子)を生き残らせ、繁栄させるための、実に利己的な手段であったわけです。

 

  しかし、私たち人間の行動パターンをよくよく振り返ると、血縁関係でもなんでもない、赤の他人、見知らぬ通りすがりの人に対してさえ、「愛他(利他)行動」をすることがあります。これは一体どういうことなのか? 動物の行動の基本原則が、ここでは破られているのか?

 

  その前に、私たち人間のように群れ(社会、集団)をつくって生活する動物には「協力性 cooperation」と呼ばれる行動パターンがあることが多いので、それをまず見てみます。

  私たちが原始人の頃、「狩猟」をするにも、「戦争(部族間闘争)」をするにも、一人でやるよりは集団でやった方が当然うまくいきます。 このため、「一匹狼の人たち」よりも、みんなで協力して生活をする「協力的な人たち」の方がより生き残り、栄えていくことになります。 つまり、「一匹狼」の行動パターンをコードする遺伝子よりも、「協力的な」行動パターンをコードする遺伝子の方がより生き残り、より増えて、中心的になっていきます。 ところが、群れがみんなの「愛他(利他)行動」によって成り立つ協力的な社会になってくると、必ず「悪いタダ乗り者」が出てきます。 自分では少しも働かず、時間も労力も費やすことなく、みんながやってくれた利益だけ受け取ってしまう人たちです。 理屈的には、こうした寄生生活をする人たちは、他のことに自分の時間と労力を費やすことができる分だけ、より栄えることになってしまいます。 悪が栄えるのです。 そのうち、良い「協力的な人たち」がいなくなってしまい、悪い「タダ乗り者」が増えていき、社会の中心になってしまいます。 しかし、それでは当然社会が成り立たなくなるので、「一匹狼」の行動パターンをする人たちが増えていきます。 しかし、「一匹狼の人たち」よりは「協力的な人たち」による集団の方が強いので、そのうち社会は「協力的な人たち」中心にシフトしていきます。 …というように、社会がサイクルするわけです。 単純に数学的にはそう言えます。

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  理屈的にはそうなのですが、これは社会の事実に合いません。 社会はそんな風にサイクルしていないからです。 

 

  いったいなぜか?

 

  「悪い奴らをやっつける人たち」がいるからです。 悪い奴ら(タダ乗り者)をやっつけたいという気持ちを、私たち人間は大部分の人が普通に持っているからです。

 

  さきほどの社会のサイクルのモデルに、「協力的な人たち」の中に「悪い奴らをやっつける人たち」を加えてみるとどうなるでしょう? 協力的な社会の中に、タダ乗りをする「悪い奴ら」がいると、この「悪い奴らをやっつける人たち」が彼らを罰する行動をします。 すると、悪い奴らが減っていくことになります。 なくなりはしませんが、減っていくのです。 数学的に計算すると、社会はサイクルすることなく、「協力的な人たち」+「悪い奴らをやっつける人たち」が中心に構成される協力的な社会に落ち着くことになります。 心も情緒もありません。 正しいも間違っているもありません。 純粋に数学的にそういうことになるのです。

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  そして、このモデルは、現実の私たちの社会に合っています。 実際に、私たちの社会はサイクルなどしていませんし、どうやら私たち人間は誰しも「正義を愛し、悪を憎む心」を持っており、「悪い奴らをやっつける」行動パターンを傾向として持っています。

  つまり、私たちには進化論的な必然として「正義を愛し、悪を憎む心」が生じ、「悪い奴らをやっつける」行動パターンが生じ、それによって「一匹狼」よりはずっと生産性が高く強い社会をつくることができ、今日の人類の繁栄につながっている…ということなのでしょう。 そこに良いも悪いもないのです。 純粋に数学的な、基本的に利己的なはずの進化論的な必然だったというわけです。

 

  そして、この「悪い奴らをやっつける」気持ちを私たちみんなが持っている事実こそ、遺伝子的に遠く離れた赤の他人に対する「愛他(利他)行動」の動機になっていることを、この続きで見ていきます。

 

 

参考書

 Fowler JH.  Altruistic punishment and the origin of cooperation.  PNAS May 10, 2005 vol. 102 no. 19 SOCIAL SCIENCES 7047–7049.

 

Moritz Hetzer & Didier Sornette.  An Evolutionary Model of Cooperation, Fairness and Altruistic Punishment in Public Good Games.  PLos One 2013; e77041

 

好意と意地悪 2

  動物たちには遺伝子を共有している「身内」に対して利他行動(愛他行動 altruism)をする傾向がある…という話の続きです。

 

  先にお話ししたハチのような極端な例だけではなく、私たちの仲間である哺乳類でも、動物たちは一般的に「身内」びいきな行動をします。 よく知られたところで、例えばプレーリードッグの利他行動があります。 プレーリードッグも、ライオンの話と同様に、メスたちは身内同士で群れを作って一緒に暮らし、オスは大人になると群れを離れて(自分のハーレムをみつけるための)放浪の旅に出ます。 このため、プレーリードッグの群れにおいて、オスにとっては自分の子どもだけが血縁関係にある(遺伝子的につながっている)わけですが、メスにとっては自分の子どもも、周りにいる姉妹たちも、同じくらい遺伝子的に近い血縁関係にあるわけです。

  このプレーリードッグは、天敵を見つけると危険を知らせるための鳴き声をあげます。(これをalarm callと言います。) 天敵を見つけた時に、自分が逃げるよりも先に、仲間に危険が迫っていることを知らせるために鳴き声をあげるのは、本人にとってかなりリスクのあることです。 その意味で、これは利他行動 altruismと言えます。

  問題は、天敵を見つけた時に危険を知らせる鳴き声をあげる頻度です。 データをとると、プレーリードッグたちは明らかに身内(子どもやきょうだい)がいる場合の方が、全く赤の他人しかいない場合に比べて、ちゃんと危険を知らせる鳴き声をあげるようになるのです。

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  当たり前と言えば当たり前です。 こうした身内びいきの行動パターンを持っている動物の方が、そのような行動パターンを持っていない動物よりも、自分の遺伝子や自分と同じ遺伝子を持つ血縁者の遺伝子を生き残らせ、繁栄させることができたであろうことは明白だからです。

 

  そして、ダークサイドの話になりますが、「身内びいき」ということは、つまり相対的に「他人に対して冷たい」ということになります。 さらにいうと、身内にひいきするために、他人に対しては意地悪なことにもなる場合もあります。 実際、ある種のカラスは自分以外の子どもを襲ってその肉を自分の子どもに食べさせたりもします。 ウサギも地リスも、自分の子どもの餌を確保するために、血縁者ではない他人の子どもを攻撃して殺したりもします。 そこまで極端ではなくても、「身内びいき」には常にこうしたダークサイドがあります。

 

  さて、私たち人間も当然同じです。 私たち人間も生得的に自分と遺伝子を共有している「身内」に対して利他行動(愛他行動)をする一方で、自分と遺伝子の共有部分が少ない「他人」に対して比較的冷たくなりますし、時には意地悪をすることさえあります。

  私たちも、他人の子どもよりも自分の子どもがかわいいと感じるようにできていますし、自分の子どものためだったら命だって惜しくない行動をしても、他人の子どものためにそこまで出来る人は少ないです。

  さらに人種差別 racismがあります。 つまり、私たちは生得的に、遺伝子的にプログラムされた行動パターンとして、ほとんど無意識的に、自分と遺伝子的に近い同じ民族・人種を好み、遺伝子的に遠い別の民族・人種を嫌う傾向があるのです。 これは時に異人種への「意地悪」にさえ発展します。 (人種差別の問題は、興味深い点がいくつもあるので、この少し後でまたとりあげます。)

 

参考書:

Martin Daly &  Margo Wilson.  Discriminative Parental Solicitude: A Biological Perspective.  Journal of Marriage and Family, Vol. 42, No. 2 (May, 1980), pp. 277-288.

 

Davies NB, et al.  An Introduction to Behavioral Ecology